ワインと、シェリーと、生ハムと
座学編
「Bar篠崎」代表取締役 篠崎新平さん
一般社団法人日本生ハム協会で監事をつとめられるBar篠崎の代表取締役・篠崎新平さん。
バーテンダー、ソムリエであり、ウィスキー、シェリー、ラム、ビールにも通暁。また、イベリコハムカッティングコンテスト2017年東日本東京大会の優勝者でもあります。
髙山宗東さん
近世史研究家。有職故実家。歴史考証家、ワインコラムニスト、イラストレーター、有職点前(中世風茶礼)家元など多岐に渡り活躍。歴史、文化の観点からワインや食文化を紹介されています。
ヨーロッパに「生ハム」は無い!?そもそも生ハムとは?
○早速ですが、そもそも生ハムとは?
篠崎 実は日本で使われているような「生ハム」という言葉自体はヨーロッパには無いのです。
豚のもも肉を塩漬けして、乾燥、熟成させたものを「もも肉」という意味で、スペイン語ではハモン、フランス語ではジャンボンといいます。ハムという言葉はドイツ語で「ももの筋肉のヒモ」を表すハムストリングスを語源としています。また、イタリアのプロシュットは「とても乾いたもの」という意味で、乾燥と熟成を表しています。
一方日本では1980年頃、北海道において鮭のルイベを作る製法をヒントに、特にももの部位にこだわらずに肩やロースなども用いたラックスハムが作られ、これが「生ハム」と呼ばれました。この北海道生まれの生ハムはヨーロッパ由来のハムとは異なるものなのですが、日本語ではこれら全てをひっくるめて「生ハム」と呼んでしまっている状況なのです。
〇乾燥した加工肉というと、ジャーキーがありますが…
篠崎 ジャーキーは南米ケチュア語の「チャルキ」が語源といわれています。大きな違いは、日干しするジャーキーに比べ、生ハムは陰干しにするということ。生ハムは定住している農耕民族の産物なので、涼しいところで陰干しにする。遊牧民族は移動するので、すぐに乾燥する日干しにした、というわけです。
〇なぜ生ハムは豚を原料とするのでしょうか?
髙山 牛は筋が多いので生の状態で塩漬けにすると食べづらいのですよ。それと、豚は家畜化しやすかったということがありますね。牛というのは優しそうに見えますけれど、あれで野生においてはなかなか凶暴ですから。子猪…いわゆるうり坊をつかまえて飼い慣らす方が簡単。豚は紀元前7000年頃にはすでに家畜化されていたようです。
また、扱いやすい豚はより食用に適したかたちを求めて交配が進みました。猪は前傾姿勢ですが、豚は下半身の比重が高く、より肉を取りやすい体つきになっていますね。そもそも「ハイブリッド」の語源はラテン語の「ヒュブリダ」で、豚とイノシシをかけ合わせたイノブタのことなのです。
世界の生ハム産地
〇生ハムの名産地は?
篠崎 世界三大生ハムは、イタリアのプロシュット、中国の金華ハム、スペインのハモンセラーノ。
ヨーロッパでは、19世紀にアジア種をかけ合わせたラージホワイト種やランドレース種の豚が生まれました。中国の金華ハムは、そんなアジア豚の代表ですが、もっぱら出汁をとるために使われます。
イタリアのプロシュットは、乳清なども飼料として与え、やわらかくソフトな味わいで食べやすさを追求しています。カットする際も、ソフトさを強調するよう繊維を垂直に断つように切ります。
スペインでは何といってもイベリコ豚が有名ですね。地中海に起源を持ち、イベリア半島を中心に分布していることから、この名があります。成長するまでは穀物などで育てられますが、出荷前の60日はほぼドングリだけが与えられ、良質な脂が特徴です。長く熟成をかけて水分活性量を少なくしてあるので、日持ちも良いです。
フランスのジャンボン・ド・バイヨンヌは、サリス・ド・ベアルンなど歴史ある塩の産地に近いことなどもあり塩味がやわらかく旨味が濃厚です。
〇日本における生ハムの歴史は?
篠崎 日本生ハム協会の教本では、1996年にイタリアのプロシュットが輸入されたのがはじまりで、2000年にはスペインのハモンセラーノも、とありますが、それ以前のことに関しては諸説あり、ですね。
髙山 非加熱長期熟成タイプのハムはすでに江戸幕末にはオランダからヨーロッパ系統のものが、また中国から金華ハム系統のものが、長崎に入ってきていたようです。しかし、平安時代の927年に記された『延喜式』には猪の脯(ほしし・干し肉)という記載もあって、こういうものも範疇に入れれば、さらに古く歴史をたどることができます。明治初年に長崎や神奈川でハムの加工がはじまった、といわれますがこれはどうやらアメリカ式の加熱タイプのハムであったようで、肉食を奨励した軍隊で採用され、食習慣として広まりました。非加熱熟成タイプの生ハムの製法は、大正三(1914)年の青島の戦いで日本の捕虜となったドイツ兵によって伝えられたと考えられますが、定着させることは難しかったようです。
スペインの生ハム イベリコとセラーノ
○スペインの生ハムのお話をうかがいます。イベリコとセラーノの違いは?
篠崎 イベリコはほぼ猪に近い豚です。蹄が黒く、足、足首ともに長く、引き締まっている。スペイン北部は標高が高く、夏は気温が高く餌がほとんどない状態で放牧されます。飢餓に強い種ですが、必死に餌を探しまわります。
髙山 猪と豚の大きな違いのひとつが鼻の長さ。餌を自分で探さなければならない猪は鼻で地面を掘り返し たりするので、長く、発達します。餌を与えられる豚は、その必要がないので、ぺちゃんとした鼻なのです。してみれば、餌を自分で探さなくてはならないイベリコ豚の鼻が長いというのも、頷けますね。
篠崎 イベリコは食欲も旺盛で、10月のドングリの時期になると、1日8㎏も食べます。 普通の白豚は、6㎏ほどが限界。このお陰で、短期間に良質な赤身肉、脂を作ることができる、というわけです。
○ハモンセラーノは?
篠崎 白豚“ランドレース”、“ラージホワイト”と身体の茶色い“デューロック”品種を用いるため、やわらかい肉質で熟成した後も食べやすいのが特徴です。
生産量は年によって若干の違いは出ますが、2020年統計では、スペイン全体で約4800万本の生ハムが生産され、その中でイベリコは約760万本。最高級のベジョータは、さらにその中で約26万本に過ぎません。つまり約4000万本の生産があるハモンセラーノに対して、イベリコはその5分の1ほどの生産量です。
またハモンセラーノにも色々ありますので価格も一概にはいえませんが、おおよそ5倍くらい違うと思って遠くありません。イベリコ豚の等級は、脚についているタグを見ると解りやすいです。最高 ランクは黒タグで、以下、赤タグ、 緑タグの順。種でいうと、イベリコ原種100%、75%、50%の順で、50%以下はイベリコ豚とは名乗れません。75~100% 原 種 で、100%ドングリを飼料としたものが黒タグ、成長期にドングリ以外の飼料を与えたのが赤タグになります。
2014年に改定され、イベリコ豚のランクはベジョータ、セボ・デ・カンポ、セボの3ランクになりました。ベジョータの熟成期間は最低36ヶ月、セボは14~18ヶ月という規定がありますが、中にはベジョータ以上に熟成期間をとるセボもあり一概にランクで良し悪しを決められない面白さもあります。
美味しいだけではない!生ハムの楽しみ方
○スペインでは、いつ頃から生ハムを食べているのでしょうか?
髙山 歴史には、文化的要素のタイミングで測る視座があります。スペインで非加熱長期熟成タイプの生ハムが大規模に作られるようになったのは、だいたいローマが帝国化した紀元0年前後ではないかと。サラリーの語源がローマのサラリウム、つまり塩による対価に由来するということは知られていますが、ローマ軍が辺境諸国を攻める際の保存食に塩は欠かせないわけです。大量の塩が流通することで、大規模に生ハムを作ることができるようにもなった。だとすると、その当時のガリアで流通していたローマ貨幣に、(たぶん豚の)もも肉のモチーフがあったのは、非常に示唆的。擬似的な価値の象徴である貨幣というものに価値があることを示すために、当時の人びとにとって本当に価値のあるもの…すなわち生ハムを刻んだわけですから。
○なるほど、生ハムはそれほど価値あるものだったのですね!
髙山 今でも充分価値はありますよ。イベリコ豚はドングリ由来の不飽和脂肪酸オレイン酸が豊富で、お肌にも良いし、血中の悪玉コレステロールも排除してくれる。さらに近年、チロシンが注目されています。ポツポツと白く浮き出た、ちょっとジャリっとする結晶。熟成によってできる旨味のカタマリなのですが、老化を防ぐ効果があり、認知症や鬱病にも効くといいます。でも、科学的な話だけではないと思いますね。チロシンが浮き出るような美味しい熟成生ハムを食べる時、それだけでモサモサ食べないですね。美味しいワインを飲むでしょう?また、美味しい生ハムとワインが揃ったら、独りではつまらない。気の置けない友人と飲みたくなる。そういう心の動きが、老化や鬱をガードするのではないでしょうか。
次回は実践編をお届けします
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